[対談]鶴岡シルク株式会社 代表取締役 大和 匡輔 氏×SUIDEN TERRASSE 総支配人 中 弥生

[対談]鶴岡シルク株式会社 代表取締役 大和 匡輔 氏×SUIDEN TERRASSE 総支配人 中 弥生

「生まれ故郷にアイデンティティを持ち、本物へのこだわりは未来のために」

鶴岡シルク株式会社 代表取締役 大和 匡輔 氏
SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE 総支配人 中 弥生


国内最北限の生産地として今から150年前に鶴岡市羽黒地区松ヶ岡で始まったシルク産業。旧庄内藩士3,000人が開墾したこの地で今、シルクの本当の価値が見直され、海外からの注目が高まっています。
「シルクは鶴岡のアイデンティティ」と迷いなく語る鶴岡シルク株式会社 代表取締役 大和匡輔氏、そして「ホテルを拠点に山形庄内の魅力を世界に発信したい」と語るSUIDEN TERRASSE総支配人 中 弥生の対談をご紹介します。


「本物」であることのこだわり
根底にあるのは利己ではなく利他の精神


SUIDEN TERRASSE 総支配人 中 弥生(以下、中)
この度はお時間をいただきありがとうございます。
今回対談を掲載する当館のオンラインストア「SUIDEN STYLE -旅の余韻をくらしの中に-」は昨年8月にリニューアルオープンしました。ホテルとして、どういうサイトであるべきか、そしてありたいかと考えたときに、シンプルに「山形庄内旅で体験いただいた地域や食、人や文化の魅力を、旅から戻った日常生活の中でも体験いただけるサイトになりたい」そう考えました。
旅で出会ったモノ・コトを、一度で終わらずに日常生活の中でも愛していただくためには、高い判断基準があるのではないかと思います。だからこそ、オンラインサイトでは「自分たちが本物だと思う物」を紹介し、販売したいと思っています。今日は「本物」をキーワードに、企業の取り組み、人、商品などについて大和社長から、お話を伺いたいと思ってます。
鶴岡シルクさんの商品は品質はもちろんのこと、企業としての取り組みも本物であると感じています。まずは企業として「本物であること」をどうお考えになりますか?



鶴岡シルク株式会社 代表取締役 大和 匡輔氏(以下、大和)
そんな風に仰っていただき大変恐縮です。
「本物」の判断基準はいくつかあると思いますし、人それぞれの観点もあると思いますが、私たちが取り組む鶴岡の絹産業を「本物」と考えるのであれば、その一つは庄内に養蚕から縫製まで絹産業の全てのサプライチェーンがあることでしょうか。
元々は原生林だったここ松ヶ岡地区(鶴岡市羽黒町)を、1872年(明治5年)に戊辰戦争で敗れた旧庄内藩士3,000人が刀を鍬に代え開墾を始めたのが鶴岡シルクの始まりです。


彼らは蚕室を始めとした近代養蚕農家の基礎を築いた田島弥平(注1)に教えを請い、鶴岡出身の大工棟梁・高橋兼吉(注2)が世界一の規模と言われる蚕室を作り養蚕を開始しました。そして武士の娘たちは、富岡製糸場(群馬県富岡市/2014年に世界遺産に認定)(注3)で製糸を、桐生市(群馬県)で絹織物を修行したんです。そして娘たちが工女として戻って、鶴岡市内で製糸と絹織物を始めた歴史があります。



松ヶ岡はわずか150年という、絹産業において日本で最も歴史が浅い地域ではありますが、先人たちはフィラデルフィア万博(1876年)やパリ万博(1889年)に作品を出品して大賞を受賞するなど、イノベーティブに挑戦してきました。
現在、絹産業は一番の斜陽産業のひとつと言われてはいますが、現在も養蚕から製まで絹産業の全てのサプライチェーンがあるのは庄内だけ。旧庄内藩士の歴史と精神性は今も大切に引き継がれている。
それが「本物」と言うことができる理由の一つかもしれません。




歴史から学び、繋いでいくという考え方はホテルも同じだと思うんです。SUIDEN TERRASSEは開業わずか5年ではありますが、それでもこのホテルにはどんな歴史があって、先輩たちは今まで何を大切にしてきたか、そして私たちは未来に何を繋いでいくか、それを理解し考えた上で私たちも挑戦していくべきだと思います。

大和
そうですね。先ほども「本物の判断基準はいくつかある」と申し上げましたが、ナンバーワンであること、オンリーワンであること、本質的であることなど、人によって「本物観」は異なりますが、本物を目指す人の考え方の根底には「未来に繋げていく、子供たちに本物の価値を伝えていく」という思いがあるのではと感じています。
私は絹産業の全てのサプライチェーンが庄内にあることを一つの「本物」と表現しますが、あるフランスのデザイナーは「作り手も、売り手も、買い手もみんなが幸せになることが本物だ」と言っていました。自分たちが良いと思う物を作るだけではなく、その先の人のことを考えることも「本物」たる理由になると思います。


三方良し、とてもいい考えですね。「本物」を目指す人や業界の判断基準は異なるかもしれないけれど、それぞれに未来を見据えた理由づけがある。

大和
自分さえ良ければ良いという時代が長く続いていましたが、そんな時代はもう終わったと思います。
松ヶ岡にも旧庄内藩士3,000人が毎日ここに通い2年の時間を掛けて開墾した歴史があって、これは一人では到底できなかったことです。「生きること」や「生かされていること」などと言うとオーバーかもしれませんが、本物を追求するためには「幸せとは何か」も同時に考える必要があると思いますし、本物を追求する方々と連携していかなければならないと思うんです。


大和社長の今のお話に全てが詰まっていると思いますが、堀畑裕之さんと関口真希さんによるファッションブランド「matohu」さんとの「2024 S/S “命の糸” 」のコラボレーションはmatohuさんからの提案だったと聞きましたが、大和社長はどんな本物観を持つ方と一緒にやりたいと思いますか?

大和
2010年に始まったkibisoのブランディングで、元東京ファッションデザイナー協議会議長でkibisoプロジェクトのプロデューサーを務める岡田茂樹さんがmatohu(注4)のお二人を連れてきてくれたことが、お二人との出会いでした。



その時に工場で製糸の様子を見学した堀畑さんが涙を流して感動していたんです。
「繭から1本の糸を引いて1500mの糸ができる頃、繭からさなぎが見えてきました。私はその様子に命を感じたんです」と。そして「今日この風景を見るまでは、テキスタイルの見本市で布を買って服を作ることが当たり前だと考えていた」と。

繭から絹糸を取るということはサナギを殺してしまうということ。
でも、サナギを殺してしまうけれども、そこから絹糸という新しい命が生まれる。堀畑さんはそんな風に考えたようです。出羽三山にも現在・過去・未来の考え方がありますが、この体験を通して、堀畑さんは「命の循環」という本質的なことに行き着いたのではないかと思います。




彼らが「matohu/まとふ 」としているのは「身に纏(まと)う」という言葉からきているんですよね。

大和
そうです。単純に「着る」ではなく、「纏(まと)う」。
衣服の歴史と意味をとても大切に考えているからだと思います。命について考えた時に、「精進料理は動物を殺さず植物だから良い」ではなく、何であっても私たちは命をいただいている、植物にも命がある。
その本質を言葉や姿勢で説明できる人が本物なのではと思いますし、その理解があるからこそ、本物を作り出し、人を引きつける力があるのではないかと思います。




本物であること、そして本物を見極める力
最後は人であり、人の感性が求められる


元々「本物」を見極めることができる人がいる一方で、本物を見極める力を培っていくことはできると思いますか。

大和
本物を見極める力を培うことはできると思いますし、鶴岡シルクも「本物であること」を常に目指しています。子供たちが「本物が何かを判断できる」ようにしてあげたいんです。
繊維でいえば本物を見極める基準は、着心地、風合い、色の深み、コク。
絹織物職人だった私の父親はシルクに触れるだけで良いシルクかどうかを判断していました。でも私はこの業界に飛び込んだ当時は触っただけではシルクの良し悪しの判断ができませんでした。しかし今なら少しわかるようになりました。
芸術も思考も、本物を見極められるようになるには先入観を持たず謙虚に先人たちが「本物」として守り繋いできたものを見て、触れて感覚を培う、その訓練だと思います。
そうすると本物たる理由が少しずつ分かってくるんです。


繊維業界に限らず、本物を見極めるには先人から何を学び、どう感性を伸ばしていくかですね。

大和
そうなんです。最後は人であり、人の感性だと思います。
例えば織物の色に対しての感性はデザイナーさんごとに違います。特に布は光沢や質感も影響するので、PANTONEやDICなどで測るようなことができないんです。例えば「紺色」と一言で言っても、赤みを加えた色なのか、浅い色なのか、そして硬いのか、柔らかいのか。数値では測れないものがあります。だからこそ、私たちはデザイナーさんと感性を合わせて正解の色を出していくために技術を磨く必要があります。色の仕上がりは、人の目、感性で判断するんです。


今のお話をお聞きして、近年ホテル業界でもDX(デジタルトランスフォーメーション)化が一気に加速していますが、全てデジタル化すればOKではなく、本物のサービス、お客様へのホスピタリティはやっぱり人の感性が求められる、「人 対 人」だと改めて感じました。
デジタル化が叫ばれている中でも、デジタルを活用していくからこそ、人の感性がより大切になっていき、人のリソースが際立っていくのではないかと思います。

大和
人間はロボットではないですよね。人間は人間らしいことを求める。
そして人間だからこそ吹き込める命がある。そこはどんな時代も変わらないと思うんです。中さんが仰るように、人間がすべきこと、そしてデジタルをうまく使い分けることが必要だと思います。
シルクの世界でも「職人技」と言いますが「アナログ的に手でやっているから職人技」ではないんです。織物は言ってみれば縦糸と横糸だけでできるものなので、デジタルを導入して簡素化できるのであればどんどん導入すべきです。そうすると職人が5年掛けて習得した技術を、新人が3ヶ月でできるようになることもあります。その時に大切なのは職人が技術をしっかりと明文化して伝え、次の世代に引き継いでいくことです。
そして引き継いだ世代は、職人の技術をデジタルに落とし込んでいくかアナログを大切にするかどうかを都度判断し、更にはその選択の理由をしっかり説明できるようになるべきなんです。これは先人たちから引き継いだ「本物」を、今の時代に合うようにいかに修正していくかの工程でもあります。


お話を伺っていると、大和社長は行動力と好奇心がエネルギーになって、軽やかにいろいろなところに行き、挑戦している。その過程の中で本物を見極める感性が更に研ぎ澄まされたのかなと思います。

大和
今考えるとそうかもしれません。人と同じことをやってもダメで、常に人がやらないことを意識しながら挑戦してきたような気がします。
私は大学入学とともに鶴岡市から上京し、大学卒業後はそのまま製薬会社に就職しました。グローバル企業だったので肌の色も言葉も宗教も異なる多様な国籍の社員の中にいると、自分が何人なのか分からなくなることがある。その時に、当時のボスから「自分のアイデンディティは生まれた街に持て」と言われたのが、鶴岡に戻ってくるきっかけでした。
元々、私の父親は精練会社に勤めていました。でも30年前に私が東京から鶴岡市に戻ってきた時にはすでに絹産業は斜陽産業だったので、私は父親に「絹織物は早くやめるべきでは」と言いました。
でも父親からの答えは「旧庄内藩士たちが松ヶ岡を開墾し、絹産業で鶴岡市の近代化に貢献してきたこの歴史と精神を考えると、簡単にやめることはできない」でした。
「鶴岡市のアイデンティティであるシルクをどう盛り上げていくか」それが自分のミッションになりました。

18世紀は産業革命で大量生産・大量消費が始まり、19世紀は石炭から石油へ変換するエネルギー革命で石油の奪い合い、そして20世紀は情報革命が起こり、現在もデジタル化が進んでいます。21世紀はサーキュラーエコノミー循環型と言われていますが、今までのように安価な原料と人件費で大量に生産し消費する世界ではなく良いものを大切に長く使う事が重要になります。

自分がこの業界に飛び込んだ当時すでに、日本の繊維工業は中国に押されている状態でした。そこで、鶴岡市にあって中国にないものはなんだろうと思った時に私が出した答えは、「職人技と綺麗な水」でした。絹産業は水が綺麗な場所でしか発展できません。一番の斜陽産業ではあるけれども、鶴岡市には職人技と綺麗な水があって、そして絹産業の全てのサプライチェーンが整っています。
中国ができない方法で、3,000人の旧庄内藩士たちが築き繋いできた歴史と精神性を、ここ鶴岡市で繋いでいくべきだと考えたんです。



シルクは究極のサスティナブル
代々引き継ぎ、最後は土に還る



近年、サスティナブルやエシカルと言う言葉をよく耳にするようになりましたが、じゃあ「サスティナブルな社会」と言われてもそれが具体的にどう言うものなのか、説明できる人は少ないと感じます。
気候変動や環境問題が全世界的な課題になる中で、私たちSUIDEN TERRASSEとしても地球に優しくあること、そして思いを同じくしていただける方々と共に取り組んでいく必要があると実感しています。
大和社長は、サスティナブル・エシカルな取り組みに対してどうお考えですか。

大和
紀元前2000年前に始まったシルク、そして長く続いてきたシルク産業の状況は、このわずか70年程でがらりと変わりました。
ファストファッションの隆盛も顕著なものでしょう。
資源が無いことを理由に、日本は世界中から資源を探し出し、それに付加価値を付けて高く売ってきました。日本全国で製造していた高品質のシルク製品は、あっという間に外国製の安価な繊維製品に負け、使い捨ての時代になったのです。
でもこの数年のサスティナブルを意識した動きをきっかけに、ファッション業界にも新たな風が吹き始めました。パリ・コレクションやミラノ・コレクションなどのファッションショーでも、使い捨ての時代から、いかに残し繋げていくかにフォーカスし始めました。


多くの業界が「サスティナブル」を目指して改革を行う中で、ファッション業界にも大きな変化があったんですね。

大和
そうなんです。でもシルクを通して言えることは「シルクは究極のサスティナブルだ」と言うことです。私たちは、シルクを通して子供たちに循環する社会のあり方を伝えていきたいと考えているんです。
サスティナブルが声高に叫ばれるようになるずっと前から、シルクや着物は本質的にサスティナブルでした。日本人はこれまで祖父母や両親の着物を仕立て直し、子供や孫の代まで大事に着ていた。そして着られなくなったら雑巾として掃除に使ってきました。
そしてシルクは土に還ることができる。大切に使っても、最後に土に還ることができなければ、それは本当のサスティナブルではないと思うんです。時代の変化とともに、良いものを大切に使うと言う精神が、再び見直されていると感じます。


私自身も、祖母から受け継いだ着物を大切に着続けています。それが、かっこいいことであると伝えることも21世紀が目指すサスティナブルのあるべき姿かもしれませんね。
シルクを通して、サスティナブルは本来非常にシンプルでわかりやすい考え方だと気付きます。


自分たちのアイデンティティを強みに
いかにグローバル化を目指すか


先ほど「シルクは鶴岡市のアイデンティティの一つ」と仰っていました。
鶴岡市の強みと弱みを把握し、グローバルに物事を考えていくことで、世界中からのお客様にもきちんと対応できるようになると実感しました。
でも本当のグローバルとは何なのかという課題にもぶつかります。もちろん英語を話せないよりは話せた方がいい。でも言語はお客様とのコミュニケーションの為に学ぶことであって、言語ができるからグローバルだねと言うのは違うと思うんです。そう考えると、SUIDEN TERRASSEがグローバル化を目指す為に大切なことは、ローカライゼーションをどれだけしっかり学んで伝えられるかだと感じます。言葉の選択も含め、地域の個性と強みをいかに気持ちを込めて伝えられるかではないでしょうか。
鶴岡シルクさんを始め、志を持つ皆さんと共に鶴岡市の魅力を伝えていくことがSUIDEN TERRASSEのゴールだと思っています。

大和
ありがたいことです。
私は、物事の価値は、第三者が見つけてくれるものだと思っています。「きびそ 」(注5)もそうでした。
蚕が繭を作る最初の段階で出す糸「きびそ」は、そもそもゴワゴワしていて絹織物には使えないとされ、廃棄していたものでした。でもプロデューサーの岡田茂樹さんの目に止まったことをきっかけに、絹織物の新しい魅力として生まれ変わりました。



当事者は気付けなかったことに、第三者だからこそ気付けることがありますよね。
鶴岡市民の方が謙虚な気持ちでよく言う「鶴岡には何もない」と言う言葉も、県外から来た私にとっては、「そんなことない!」と言いたくなる言葉です(笑)
また、庄内地域にはホテルがある鶴岡市と隣接する酒田市の2市、そして三川町・庄内町・遊佐町の3町が含まれますが、自治体単位ではなく私たちのホテル名にもある「SHONAI/庄内」地域で考え、それそれの施設や人が連携することで、地域の魅力はさらに増すのではないでしょうか?

大和
「鶴岡には何もない」はUターンするまで自分自身も言っていた言葉でした(笑)
でも実は鶴岡市には海も山も平野もあって、自給自足ができるぐらい豊かな食材があるし、過去から学び、イノベイティブなことに挑戦する土壌もある。
年々、鶴岡市・庄内の人々が誇れるものが増えているのも事実です。
鶴岡市には酒井家というお殿様がいること、そして徂徠学 (そらいがく)が脈々と引き継がれていることも、市民の精神性に大きく影響していると思います。
そして中さんが仰るように、鶴岡市だけで頑張るのではなく、庄内地域全体の連携が重要だと思います。
鶴岡市には参勤交代の江戸文化が残り、隣の酒田市には北前船の京都の文化が残っているだけではなく、この地域には出羽三山の東北の文化もあります。様々な文化が混じり合っている庄内には、様々な文化を受け入れられる寛容性があります。

考えや立場の違い、それぞれの個性を受け入れて、住み分けしながら交流できている。それが私たちの強みだと思います。


大切なのは、そのすでにある魅力をどう発信していくかでしょうか?

大和
そう思います。もしかしたら、自分が上京する前は本当に「鶴岡には何もない」だったかもしれませんが、今は絵画を観賞したいなら酒田市美術館(酒田市)があり、音楽を聞きたいなら庄内町文化創造館響ホール(庄内町)があり、鶴岡市には1,000人規模の学会を開催できる荘銀タクト鶴岡がある。
坂 茂さんが設計したSUIDEN TERRASSEと妹島和世さんが設計した荘銀タクト鶴岡という、二人の世界的建築家が手掛けた建築が鶴岡市に2つあることも、とてもすごいことです。
できれば、いつかそこに鶴岡シルクも入りたいですし、子供たちにとって誇れる故郷でありたいと思っています。
すでに魅力の点と点、種のようなものはたくさんあるので、今後は各所が連携してその点を結びつけていくことが大切ではないかと思います。
SUIDEN TERRASSEさんも何処と繋がるかで、とても面白い効果を生み出していくはずと期待しています。


今回の対談で鶴岡シルクさんも、そしてSUIDEN TERRASSEも、インプットからいよいよアウトプットのステージへ移行していることを実感しました。ぜひ今後も連携させていただきながら、子供たちが誇れる故郷を目指していきたいと思います。
本日はありがとうございました。




PROFILE------------------------------------------------------------------
大和 匡輔(やまと きょうすけ) 氏
鶴岡シルク株式会社 代表取締役
山形県鶴岡市出身。鶴岡シルク(株)代表取締役。東福産業(株)代表取締役社長。鶴岡織物工業協同組合理事。高校卒業後、明治薬科大学薬学部薬学科に進学。同校を卒業後、薬剤師免許を取得し日本チバガイギー(株)(現・ノバルティスファーマ)に入社。MR(医療情報担当営業職)として働き、1993年にUターンし東福産業(株)に入社。2002年同社代表取締役社長に就任した(現職)。2010年、「kibiso」の企画・販売等を行う事業会社として鶴岡シルク(株)を設立し、代表取締役社長に就任。鶴岡市内のシルク産業関係企業で構成する鶴岡織物工業協同組合の理事ほか、鶴岡市総合計画審議会企画専門委員を務める。

中 弥生(なか やよい)
SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE 総支配人
パークハイアット東京、ザ・リッツ・カールトン大阪、ザ・ブセナテラスなど複数のラグジュアリーホテルおよびリゾートでの経験の後に、当時、新たなスタイルのラグジュアリー旅館であった箱根・翠松園の開業に副総支配人として参画。その後、奈良にあるホテルアジール・奈良の総支配人として地域と共存するホテル運営を実践。また“銀座人”との関係を構築し、宿泊施設としてだけでない付加価値の創出に尽力するという銀座グランドホテルのリブランドプロジェクトに参画。その後、三井不動産グループである三井ガーデンホテルズにおいて銀座エリアの複数のホテルの総支配人を歴任。三井ガーデンホテルズではそれまでの経験を生かし、地域の価値を生かしたホテル運営を実践した。




注釈-------------------------------------------------

(注1)田島弥平(たじま やへい/1822年〜1898年)
近代養蚕農家建築の原型を作り上げた養蚕農家。清涼育という自然の通風を生かす飼育方法を産み出し、安定した繭の生産に貢献した。田島弥平旧宅は2014年(平成26年)に「富岡製糸場と絹産業遺産群」の一つとして世界遺産に登録された。

(注2)高橋兼吉(たかはし かねきち/1845年〜1894年)
鶴岡市出身の大工。東京や横浜で洋風建築を学んだのち鶴岡に戻り、堂宮建築や擬洋風建築を多く手掛けた。代表的な作品としては、荘内神社(1877年)や洋風建築の意匠を用いた旧西田川郡役所や旧鶴岡警察署庁舎(どちらも国重要文化財。現在は致道博物館内に移築)など、鶴岡市を代表する建築を多く手掛けた。

(注3)富岡製糸場(とみおかせいしじょう)
1872年(明治5年)に群馬県富岡市に日本の近代化のために明治政府が設立した模範器械製糸場。世界の技術を積極的に取り入れながら、日本ならではの技術を確立し、シルクの品質改善と生産数向上を成し遂げ、人材育成に力を入れた。2014年(平成26年)に「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産に認定、富岡製糸場と田島弥平旧宅、高山社跡、荒船風穴が選出されている。

(注4)matohu(まとふ)
堀畑裕之と関口真希子によるファッションブランド。堀畑は大学で哲学を、関口は法律を学んだ後、文化服装学院で出会う。企業のパタンナーとしてパリコレクションに携わった後、ともに渡英。ロンドンコレクションに携わる。帰国後、2005年matohuを設立。パターンを大切にする「服作り」と、綿密に組み立てられた「言葉」を大切にし、オリジナルテキスタイルを用いた芯のぶれないクリエーションを続けている。(公式サイトより)
公式サイト https://www.matohu.com/

(注5)きびそとkibiso
生糸の原材料となる繊維を繭からたぐる糸口の部分。蚕が繭をつくる時にはじめに出す糸のことで繭全体の3%ほどしか採れず、太さが均一でゴワゴワしていたため、繊維として生糸に使われることがほとんどなかった。しかしきびそは水溶性のタンパク質などが豊富で、紫外線吸収や抗酸化作用など沢山の機能を有する素材であることが見直され、プロデユーサーに岡田茂樹氏、テキスタイルデザイナーに須藤玲子氏を迎え「kibiso」ブランドとして新たに生まれ変わった。

 

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